大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(行コ)16号 判決

控訴人

仙台勤労者音楽協議会

右代表者

佐々木健外三六名

右控訴人三七名訴訟代理人

小澤茂外四名

被控訴人 国

右代表者

前尾繁三郎

右指定代理人

広木重喜外二四名

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一、当裁判所は当審における証拠調の結果を斟酌して審究し、原審と同じく控訴人らの本訴請求をすべて失当として棄却すべきものと判断するものであつて、その理由は、次に付け加えるほかは、原判決理由中に説示するところ(原判決理由第一、二項)と同一であるからこれを引用する。

1、控訴人らは、「控訴人らは人格なき社団であるから、そもそも租税義務能力を有し得ない」と主張するが、右主張は到底採用するに由ないものであつて、その理由は原判決第二項(一)に記載のとおりであり、これに若干の補充を加えれば次のとおりである。

すなわち、我々人間社会にはいわゆる個人(自然人)のほかに個人の結合体としての団体が多数存在し、程度の差こそあれ各団体はそれぞれ当該団体の構成員から独立した団体それ自身としての社会的活動をなしている。そしてこれらの団体の中には、団体としての組織を備え、そこには多数決の原理が行なわれ、構成員の変動にもかかわらず団体そのものが存続し、その組織によつて代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していて、団体を構成している構成員の複数性が団体の背後に隠れて団体としての一個性が表面に現われている団体すなわち、いわゆる社団が存在する。

ところで、社会的に存在する団体のいかなるものに法技術としての法人格の付与をなすかはまさに国の立法政策の問題であり(社団性と法人格の取得が必らずしも表裏一体をなすものでないことは、実体が社団と対立する意味での組合であり社団ではない合名会社も法人とされていることから明らかである。)、わが国の現行法が社団法人の設立につき設立制限主義を採用している結果社団でありながら法人格を取得する途を閉ざされた社団が存在し(設立手続をなしさえすれば法人格を取得する要件を備えているがなんらかの事情であえて権利能力を取得することを欲しない社団もあろう。)、あるいは社団設立行為をして社団的活動を営んでいるが、いまだ設立手続が終了しないため権利能力を取得するにいたつていない社団が存在することとなり、これらが人格なき社団と指称される団体である。

しかして、国が団体に対して法人格を付与するゆえんは、実質において複数の個人の集合体である団体が、構成員らの単なる集団ではなく当該団体がそれ自身において社会生活上の一単位として活動しているものと観念されるが故に、自然人と同様団体それ自体に一個の法律上の主体たる地位を与えて社会的実態と法律形式とを合致せしめ、もつて団体をめぐる法律関係を明確かつ単純ならしめようとするにあるものと解すべきである。そうであつてみれば、人格なき社団がその性質、組織、活動状態において法人格を有する社団となんら異るところがないものである以上、人格なき社団は実定法上の権利義務の主体たり得べき根拠を社団性自体の中に包含しているものというべきであつて、実定法上明文の規定をもつて法人格を付与されることによつてはじめて権利義務の主体たり得る地位が発生してくるものではないのである。(ちなみに民事訴訟法第四六条は訴訟手続上の便宜から人格なき社団等にいわゆる形式的当事者能力を与えたもので実体法と全く関連性のないものとみるべきでなく、人格なき社団が実体法の上においても社団として権利義務の帰属主体たり得ることを実体法自体が承認していることの反映と解すべきである。)

それ故、国が社団に対し法律をもつていかなる権利能力を付与するかは立法政策の問題に帰し、私法上権利能力のない社団に対し公法の分野において権利能力を認めてこれを法的規制の対象とすることはなんら差し支えなく、各租税法規がそれぞれの立場から私法上の人格なき社団に納税義務を負わせることができるのである。

したがつて、控訴人らが主張するように人格なき社団は権利能力を有しないから義務能力もなく租税債務の主体たり得ないというものではない。

そして、人格なき社団は前述したとおり社会生活上の一単位として存在し、代表者の行為によつて対外的に活動し、第三者と取引関係を結びその効果は社団に帰属するのであつて、私法上権利能力を有しないためその名において取得した資産につきその所有権の主体たることを法律上主張し得ないが、社会的には右の資産は社団に帰属し、社団が債務を負担した場合には(法律的には債務は構成員に総有的に帰属する)前記社団の資産が、そしてそれのみが社団の債務の引当となる関係にあると解すべきものである。(民事訴訟法第四六条に基づき人格なき社団に対する債務名義を得た者は社団財産に対し強制執行をなしうる。)

したがつて、人格なき社団は民法上権利能力がなく所有権を取得し得ないから、これに納税義務を課してもその履行は原始的に不能であるが故に人格なき社団は納税義務者たり得ないとの控訴人らの主張もあたらないといわなければならない。

2、控訴人らは、「控訴人らは人格なき社団であるから入場税法にいう『主催者』に含まれないから同法第三条に基づく入場税の納付義務はない」と主張する。しかし右主張は失当というほかなくかえつて入場税法上人格なき社団もまた同法にいう主催者に含まれ入場税を納付すべきものと解されるのであつて、その理由は原判決理由第二項の(二)に記載のとおりであるが、これにつき若干の付加補充をすれば次のとおりである。

(一)  入場税法は、興業場等へ一定の対価を支出して入場する者にはその娯楽的消費支出について担税力があるものとみて、右の入場行為につき入場税を課するものであつて(同法第一条)、微税の方法として個々の入場者から徴することとせず、入場者の経済的負担に帰すべき入場料金を領収する興業場等の経営者又は主催者に対しその領収する入場料金について入場税を納付すべきことを命じているものと解される。(控訴人らは、「興業場の経営者等は入場税を各入場者らに転嫁する場合としない場合があり、後者の場合については右のような考え方は妥当しない」と主張するが、経営者等が入場者らから収受する入場料((入場税法にいう「入場料金」とは必らずしも合致しない))の額の設定方法がいかなるものであれ、ことを経済的実質的にみれば、納付される入場税の窮極的な負担者は各入場者である。)

(二)  一般社会において現実に、音楽、演劇等を多数人に見せ又は聞かせること(入場税法第二条第一項にいう「催物」)を企画し、音楽家等と出演契約をなし、会場を設営し、入場券を発行して入場者から入場料を収受する等の社会的活動をなし催物を主催する立場にある者としては、個人(自然人)のほかに人格なき社団を含む団体が多数存在していることが明らかである。

(三)  入場税の納税義務者についての規定である入場税法第三条にいう「主催者」(「経営者」についても同じ。)なる用語は自然人(税法上は「個人」という用語であらわされるのを通例とする。)および法人のみを包含し人格なき社団を排斥するものではない。

(四)  入場税法第八条は、同法別表に掲げられた主催者が主催する催物が同条所定の条件に合致するときは例外的に入場税の免除を得られるものと定めているところ、右別表の主催者欄には、「児童、生徒、学生又は卒業生の団体」、「学校の後援団体」等必らずしも法人格を有するものと限らない、否むしろ私法上の権利能力を有しないのを通例とする団体が掲げられていることは、とりもなおさず入場税法が、原則として、法人格を有しないものも含まれているこれらの各団体も入場税の納付義務者であることを当然の前提としていることを推認させるものである。(控訴人らは、「前記別表は免税興業に関する規定に附属するものであつて納税義務者を定める条文に組み入れられているものではないのに原判決は右別表を根拠に人格なき社団も納税義務者にあたると判断した」と攻撃するが、原判決も右別表の記載によつて納税義務者の範囲が定まると判示しているものではなく、入場税法が何人を納税義務者と定めているかの解釈に役立つ一資料とみていることは明らかである。

そして前記別表はその主催者欄中に「社会教育法第十条の社会教育関係団体」を掲げているところ、社会教育法第一〇条は「この法律で『社会教育関係団体』とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行なうことを主たる目的とするものをいう」と規定しているのである。したがつて、社会教育団体を定義づけるにあたり当該団体が法人であると否とを問わないとした法意がいずれにあるにせよ、入場税法がなんらの留保を付すことなく「社会教育法第十条の社会教育関係団体をそのまま入場税の免除を得られる主催者に加えていることは、入場税法が納税義務者につき法人格の有無を問わないものとしていることを裏付けるものというべきである。)

(五)  入場税法第二三条は、法人が合併した場合および(自然人につき)相続の開始があつた場合の同法第一〇条第一項、第二一条等の義務(申告義務、記帳義務等)の承継を規定しているが、人格のない社団等の法人格を有しない者についてはなんら触れるところがない。

しかし、右法条は納税義務者を定めたものではなく徴税の実効を期するための規定である。(前記の同法第八条は免税興業についての規定であるから納税義務者を定める規定と表裏の関係にある。)そして、法人の合併および相続はいずれも法律上当然に権利義務一切の承継(地位の承継)を生ずるものであるが、社会的現象として二個以上の人格のない社団が一個の社団に合体する事態が生じたとしても、右の合体によつていかなる効果が発生するとみるべきかは、各社団の性質、実態等に即して各別に取扱われるべきで、法人の合併および相続の場合と異り一律に取扱われることに必らずしも親しまないものであるところから、入場税法は法人および自然人についてのみ申告義務等の承継を規定したものと解することができるのである。したがつて、同法が法人格を有する者についてのみ明文の規定をもつて申告義務等の承継を規定していることは、同法が納税義務者として法人格を有する者のみを予定していると解釈すべき根拠となり得ない。

(六)  入場税法第二八条は法人の代表者又は法人若しくは人の代理人等が違反行為をした場合その行為者のほかその法人又は人をも処罰する旨を定めたいわゆる両罰規定であるが、同条は人格のない社団を処罰の対象に掲げておらず、他に人格のない社団に対する罰則を定めた規定もない。

しかし、同法条もまた前記第二三条と同じく納税義務者を定めた規定ではなく徴税の実効を期するための規定に過ぎないし、いわゆる両罰規定をいわゆる人格なき社団に適用するについては刑罰法規としての立法技術上の制約も存するから、いずれにしても、同法第二八条の規定の体裁から逆に、入場税法が納税義務者を法人格のある者に限定しているものと考えるのは妥当ではない。

なお、控訴人らは「入場税法の一部を改正する法律(昭和三七年法律第五〇号)によりいつたん改正された入場税法第二八条の改正部分が、のち整備法により削除された」との経緯は人格なき社団が入場税上の納税義務者にあたらないことの動かし難い論拠となると主張するが、控訴人ら主張のような改正経過があつたとしてもただちにその主張のとおりの結論が導き出されるものと断じ難い。

以上(一)ないし(六)の諸点を総合して判断すれば、控訴人らの「入場税の納付義務者は法人格を有する者に限定される」との主張はあたらないものというべく、かえつて入場税法は人格なき社団をも同法上の納税義務者に含ましめているものと解するのを相当とする。

3、控訴人らは、「人格なき社団に入場税の納付義務を負わせることは憲法第三〇条、第一四条、第八四条に違反するものであり、人格なき社団を入場税法上の納税義務者であると解することは憲法第三一条に違反する」と主張するが、右主張は失当というほかなく、その理由は原判決理由第二項(三)に記載のとおりである。

控訴人らは、「憲法第八四条に表現されている租税法律主義は、納税義務者の範囲が各租税法規上明文の規定をもつて明確にされていることを要請している」と主張する。しかし、立法論としては控訴人ら主張のとおり各租税法規上納税義務者の範囲が明文をもつて規定されていることが望ましいが、当該租税法規の解釈上納税義務の有無を明らかになし得る以上、納税義務の範囲を定める明文の規定を欠くからといつてただちに憲法第八四条に表明された租税法律主義に違反するものではなく、いわんや右の明文の規定がないから納税義務を負わないとの控訴人らの主張が失当であることは明らかである。

(本件賦課処分当時施行されていた租税法規を通観すると、直接税法である、法人税法、所得税法、相続税法には人格なき社団につき明文の規定を備えていたが、入場税法その他のいわゆる間接税法には人格なき社団について明文の規定をもつて触れるものがなかつたことが認められる。しかし、前者はいずれも納税義務者を規定するにつき法人または個人という純然たる法律技術的概念を基準としていたから、人格なき社団をその適用の対象とするについては人格なき社団に関する明文の規定を必要としたものと解されるのである。これに対し間接税法の場合は、例えば本件で問題となつている入場税法は「経営者又は主催者」と、酒税法は「酒類の製造者」というようにそれ自体法的概念ではあるが社会的活動の実態に着眼して納税義務者の範囲を規定しているため、人格なき社団が納税義務を負うか否かはもつぱら各法規の解釈にゆだねられるのであり、人格なき社団についての明文の規定を備えていないことは、当該法規が人格なき社団を納税義務者に含めないことを意味するものではない。)

4、控訴人らは、「本件入場税賦課処分の対象となつた控訴人らの例会は入場税法第二条第一項の『催物』に該当しないから、控訴人らは同条第二項の『主催者』ではなく、したがつて、同条第三項の『入場者』および『入場料金』も存在しないと主張するが、当裁判所も結論において控訴人らの右主張を失当であると判断するものであつて、その理由は、当審における控訴人らの主張に対する判断を付加するほか、原判決理由第二項(四)に記載のとおりである。

当審において控訴人らが強く主張するところは、「労音の性格、実態からして労音は個々の会員とは別個独立の存在ではなく、会員および会員の活動の総体であつて会員と離れて存在するものではない。労音の例会(音楽会)は会員らが、それぞれ会費を持ち寄り、例会の内容を決定し、会場を借り入れ、出演者と出演契約を結び(但し、現実には会員全員の代理人である委員長等が契約を締結する。)、会場を設営して音楽を聞いているものであつて、主催者と対立する入場者は存在しない」というにあるので、右主張の当否を判断する。

(一)  入場税法上の「催物」が、同法第二条第一項にいう映画、演劇、音楽等を多数人に見せまたは聞かせる側の者と、これらを見たり聞いたりする側の多数人の存在を当然の前提とする概念であり、見せまたは聞かせる側の者が同法第二条第二項の「主催者」あいは同法第三条にいう「経営者」であり、見たり聞いたりする側の者が同条にいう「入場者」に該当するものであることは原判決の判示するとおりである。

(二)  控訴人らが、同人ら主張のような(原判決事実摘示原告らの主張第一項(一)に記載)人格なき社団に該当することは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らはいずれも各控訴人の名称を冠した『規約』を備え、右規約によつて会員(構成員)資格、活動内容、機関および役員等ならびに各機関等の役割が定められていること、最高決議機関としては委員および代議員によつて構成される『総会』があり、議事決定は出席代議員の過半数によるものとされていること、右総会によつて決定された事項の具体化および運営のための機関として『委員会』、『運営委員会』等がおかれていること、役員として委員長、副委員長等がおかれ、例会会場の賃借、出演契約等の対外的取引活動を右役員が各控訴人の名においてなしていること、運営に関する一切の事務を行なうため事務局がおかれていること、控訴人らの活動に要する諸経費の大部分は会員(構成員)の拠出する会費によつてまかなわれていること」が認められるから、控訴人らはいずれも社団として社会的に実在し社会的活動を営んでいるものであること」が認められる。

(三)(1)  〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らはいずれも原則として三名以上の音楽愛好者の集まりを単位として構成され、右単位を『サークル』を呼称していること。サークルは職場、住居、学校等を契機として構成されるもので控訴人らの構成員(会員)となるためには原則としてサークルを結成しあるいは既存のサークルへ加入しなければならないこと。サークルは数名ないし数十名、時には数百名の会員によつて構成されているもので互選により代表者、副代表者を選出するが、他に機関と目すべきものはおかれていないこと。各会員の氏名は各サークルごとに各代表者が掌握し、控訴人ら各労音におかれた事務局においてはサークル代表者のリストのみを備え会員全部の名簿を備えていないところが多いこと。サークルへの加入脱退、したがつてまた控訴人らへの入退会手続はサークルの代表者がこれを行ない、入会金、会費の納入、例会券(座席券)の配布もまた代表者が行なつていること。サークルにおいては、その規模、活動状況によつて異なるが、例会ごとの事前の研究会および事後の批評会、レコードコンサート、ハイキング、機関誌の発行等をなしサークル加入者(サークル員)相互の意思の交流、親睦をはかりつつ規約に定められた労音の目的達成につとめていること。サークルにおいては例会企画を含む労音の運動方針につき討議がなされその結果まとめられた意見が運営委員会等に提出されて右の運動方針の決定、具体的実行に参酌されること。サークルは代議員候補者を選出し、右候補者の中から地域会議(「地域例会、職場例会のこと」、地区ごとにサークルの代表者と活動家によつて構成されるもの)において総会を構成する代議員が選出されるものであること。なお各サークル相互の交流をはかるため座談会、ハイキング等が行なわれることもあること」以上の事実を認めることができる。

右にみたところからすれば、控訴人らはいずれもサークルを基本的な組織として構成され、サークルごとに控訴人らの目的にそつた活動が営まれていることが認められるが、しかし、控訴人らのサークルの基本的性格は、会員の統括・把握をはかる一手段であり、換言すれば、例会を成功させるための便宜的な一方法にすぎず、レコードコンサート、ハイキング、座談会等のサークル活動も、この意味において副次的なものにすぎないと認められる。(なお、〈証拠〉によれば、「控訴人らのあるものはサークルに加入しない個人会員を存在させ、規定の三名に満たないものにはサークル準備会をつくつて入会させ、あるいは事務局員で構成される事務局サークルへ加入する形式をとつて入会させていること。」が認められる。)したがつて、原判決理由中に認定の控訴人らおよび例会の実態(原判決七三枚目裏から同七七枚目表までに記載)すなわち、控訴人らは社団としての意思決定をなし規約に基づく組織体としての対外活動の結果開催されるのが例会であることと対比すれば、サークル活動はこれと同一に論じ得るものではないから、労音は会員およびその活動の総体であり、例会はサークル活動の一環に過ぎないとの控訴人らの主張を認むべき基礎事実の証明がないことに帰する。

(2)  控訴人らは、「会員(構成員)の意思と離れた別個の社団意思は存在しない」と主張するが右主張を認めるに足る証拠はない。

かえつて、〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らの中心的活動である例会(音楽会)を開催するにつきその内容が企画決定される経過は大要次のようなものであること。すなわち、まず全会員を対象としてアンケート方式により希望調査をし、サークルごとに話合いがもたれサークルとしての希望、意見がまとめられる。サークルの各代表者はサークル代表者会議あるいは地域会議においてサークルの意見をもとに討議を重ね右討議の結果は委員会へ提出される。委員会においては(専門部としての企画部のあるところでは企画部の協力のもとに)会員の希望、労音の目的との融和性、出演者の都合、他労音の例会における評価等を考慮して年間の企画案を決定し、総会にはかる。その間右の各段階において、地域、サークル、各会員の検討、討議の機会が設けられ、企画案を樹立するについて参酌され、総会において決定されたものが当該労音の例会年間企画となる。右の年間企画はオーケストラ、バレエ等概括的なもの、演奏家を特定したものおよび両者が混在したものがあり、企画内容が概括的なものについては、さらに会員の希望、意見を参考としたうえ、委員会および運営委員会において具体化される。前記の年間企画が立案されるにあたつては、会員に対するアンケート調査の結果において希望の多いもののみがとりあげられるわけではなく、年間を通じ音楽の各部門、分野の平均化がはかられ、出演者の予定とのかね合い、さらには一労音のみの企画では実行が困難であるが数個の労音例えば九州の各労音がまとまれば演奏家の承諾もとれ、オペラのように莫大な費用を要するものでも経済的に実現が可能となる事情がある場合には、他労音との共同企画とする等の諸要素が勘案される。なお、総会または委員会等においていつたん確定的なものとして決定された企画であつても、その一部が出演者の差支え等のため予定された例会の直前になつて変更されることもある。かように、控訴人らの主要かつ中心的な活動である例会についても、その内容を決定するにあたり、終始会員および会員によつて構成されているサークルの意見を徴し討議の対象としているが、最終的には社団としての意思が意思決定機関により形成されるのであつて、形式的にはもちろん内容的にも、個々の会員の意思とは別個の意思に基づいて例会を開催しているものとみざるを得ないこと(個々の会員の希望、意見と社団意思とに合致しない面のあることは、例会の内容について会員の中に不満がある事実が認められる。)、そして、例会以外の、組織の拡充、宣伝、研究会の開催、レクリェーションの実施等の諸活動もまた、会員の意思が参酌、反映されはするが、総会、委員会等の機関において形成された社団としての意思に基づいてなされているものであること」が認められるである。

控訴人らは、例会の企画およびその具体化するにあたり委員会、運営委員会は会員の意見や希望を無視して独自に決定するものではないことを強調するが、団体構成員の意見や希望を反映、参酌することと団体意思が構構成員の意思とは別個独立の存在であることはあいいれない観念ではない。

(3)  〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らの例会は、多数の会員を収容できる音楽会、集会用の施設、体育館等を借り受けて開催するものであるところ、例会会場における入場者の受付、整理等の会場の管理、照明、音響装置の操作、出演者の接待等は会員の一部が交代でこれを行なつていること。そして右のような例会場の管理、例会の運営に関与している会員も、単に会場において音楽を聞く等しているのみの会員と同額の会費を納入していること」が認められる。

しかし、右各証言によれば、前認定のような例会場の管理は全会員が順次これにあたるたてまえであるが、個々の各例会についてみれば、入場数に対比して極く少数の会員が会場の管理等を担当しているに過ぎないし、会員の手によつて会場の管理等をなす目的は、全員の負担に帰すべき例会経費の節減にあり、したがつて前記一部の会員は労務を提供して経費の一部を補填しているものであることが認められるから、前認定の事実は例会の性質を左右するものではない。

そして、〈証拠〉によれば、「控訴人らの例会において、控訴人らの会員が職業演奏家とともに音楽の演奏をなし、あるいはプログラムの一部が会員による演奏によつて構成されたことがある」との事実が認められる。

しかし、右のように演奏する者の中に会員が含まれていても、音楽等を見せ又は聞かせる側の者と、これを見たり聞いたりする立場の者が存在することにかわりはないから、右のような事実の存在は例会の性質についての判断に影響を及ぼすものではない。

(4) 控訴人らは、「各控訴人らの役員である委員長、副委員長等は本来的意味における代表者ではなく当該労音の会員全員の代理人として対外的法律行為をしているのであり、機関構成員とされる右委員長らならびに委員、運営委員、総会構成員らはいずれも無報酬で労音のための活動をなし、一般会員と同額の会費を負担して例会に参加しているのであつて例会を主催する社団の機関としての行動をしていないことからいつても、控訴人らの例会が、個々の会員とは別個独立の存在である控訴人らが会員である多数人に見せまたは聞かせるために主催したものではないことが明らかである」と主張する。

しかし、前認定のとおり、控訴人らはいずれもそのいわゆる「代表者」の地位にある委員長または同人から委任を受けた者が当該控訴人の名において事実上法律上の対外的取引行為をなし、その効果が社団としての控訴人らに帰属していることが認められるのであるから、控訴人らがそれぞれ社団として活動しているというを妨げないのであつて、人格なき社団の代表者を代表機関とみるか代理人とみるかは説の分かれるところではあるが、右は「代表者」が社団の業務執行のためになす行為の効果が社団に帰属する関係をいかなる法律概念によつて説明すべきかの問題なのであるから(機関説によつても代理説によつても結果的には民法の代理の規定が適用ないし類推されることとなる。)、その説明の仕方によつて社団としての活動の存否がいずれかに決せられるというものではない。

そして、〈証拠〉によれば、「控訴人らの役員および機関構成員ともいうべき、委員長、副委員長、委員、代議員らならびに控訴人らの事務の処理にあたつている事務局長および事務局員らはすべて当該労音の会員であり、右のような地位にない会員と同額の会費を拠出して例会において音楽等を見たり聞いたりしていること。そして、事務局の専従者以外の役員らはいずれも当該労音のための活動をなすことによつてなんら経済的利益を得ていないばかりか、かえつて金銭・労務等を提供していること」が認められるが、右事実は、控訴人らが営利団体ではないこと、そして社団としての控訴人らの運営が前記役員ら(前認定のとおり入退会手続、会費徴収手続等をサークル代表者らが行つていることからすればさらに同人ら)の経済的、労務的負担にあずかるところが大きいことを示しているに過ぎず、控訴人らの例会が個々の会員と別個の社団としての控訴人らが主催するものであるとすることを否定するものではない。

(5) 控訴人らは、「控訴人らのうちには創立総会以前に例会が行なわれたものがあるところ、例会の実態には創立総会の前後において変化はないのであるから、創立総会後の例会もまた控訴人ら労音の主催したものではない」と主張するところ、〈証拠〉によれば、「東京においては東京労音結成の準備段階である昭和二八年一〇月東京労音設立の準備委員よりなる準備会が中心となつて第一回例会とされる音楽会が開催され、その後に創立総会が開かれ、規約、役員等が正式に定まつて同労音が発足したこと。仙台においては昭和三〇年八月準備委員からなる準備委員会の企画実行により第一回例会とされる音楽会が開かれ、同年一一月の第三回例会とされる音楽会の終了後に創立総会が開かれたこと」が認められる。

しかし、控訴人らの論旨にしたがいことを形式的にみれば、東京労音および仙台労音が正式に発足する以前に開催された音楽会は右各労音の例会ではないから比較の対象とすべきものではない。そして、ことを実質的にみれば、前記各証言によれば、「右各労音はいずれも準備段階において社団性が徐々に形成され第一回例会(仙台は第一ないし第三回)とされる音楽会が開催された時点においては既に社団としての実質を備えていたこと」が認められるのであり、法律的には社団が設立された時期を創立総会終了の時点とせざるを得ない結果創立総会前の音楽会は社団としての東京労音または仙台労音が主催者であるといえないとしても、準備委員または準備委員会が主催したものとみるべきであつて、いずれにしても入場者に対置される主催者は存在しないとの控訴人らの主張は当を得ない。

(6) 控訴人らは、「控訴人らの例会は入会金を納付して会員となり、毎月の会費を納付した会員のみが参加するものであつて、あえて主催者および入場者の概念にあてはめれば、会員全員が主催者であると同時に入場者というべきもので、会員と離れた別個の主催者は存在しない」と主張するところ、〈証拠〉を総合すれば、「当月分の会費を納入した会員に限りその月の例会会場に入場できるたてまえとなつていること」が認められる。

しかし、〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らの会員数は常時変動しており、各例会の時点毎に集計した会員数において五ないし二〇パーセント前後、平均一〇パーセント内外の会員の増減があり、右増減は例会毎に生ずるものでしかも例会において上演、演奏される内容に左右されるものであること。入会の勧誘はもつぱら具体的な演奏、上演内容を掲げてその音楽会等に入場できることをうたつてなされ、新規入会者もその多くは労音運動に参加するというより当該音楽会に行けるものとして労音への加入手続をとること。そしていつたん会員となつた者の中にも、自己の好みに合致しない例会の場合は会費を納入せずに退会し、見たいあるいは聞きたいと望む例会のある月に入会金と当月分の会費を納入して例会に参加するものがあること。控訴人らの例会は、会員数の増大および古典音楽、軽音楽等会員の好む音楽の分化等により、次第に毎月クラシック例会とポピュラー例会を開催し、会員はそのいずれかを選択して参加できるものとされてきており、なお、会費を倍額支払うことにより右二種の例会に参加することも可能であること」が認められることからすれば、控訴人らの例会において見たり聞いたりする立場の者が会員に限定されていることは、ただちに入場者と別個の「例会を主催する者」の存在を否定すべき事情たり得ない。(いうまでもないことであるが、右は入場税法上の入場者は特定の多数人であつても差支えないことを前提とする議論である。)

(7) そして、控訴人らの組織、活動、例会と会員の関係等以上みてきた控訴人らおよび例会の実態をすべてあわせ考えてみても、控訴人らの「個々の会員に対し音楽等を見せたり聞かせたりしている会員とは別個独立の社会的存在である労音(控訴人)は存在しない」との主張を首肯するに足りないし、右主張を認めるに十分な証拠はない。

5、控訴人らの「控訴人らはなんぴとからも『入場料金』を『領収』していないとの主張は失当であり、かえつて控訴人らの会員が毎月納入する会費が入場税法上の入場料金にあたると認めるべきであつて、その理由は原判決理由第二項(五)に記載のとおりである。

そして、〈証拠〉を総合すれば、「控訴人らの開催する例会において音楽等を見たり聞いたりできる者は、当該例会の開催される月の会費を納入した会員に限られること、そして、その月に数種の例会が開催される場合には、各会員は入場(控訴人らの表現にしたがえば参加)しようとする例会につき定められた金額の会費を納入しその例会場における座席券等の交付を受けるものであること。しかして、控訴人らの構成員である会員が毎月納入すべき会費を基本会費と称しているが、その額は、例会に直接要する費用すなわち音楽、舞踊等の出演者に対する報酬、旅費、例会会場の借用料、例会の内容を会員に周知させるための機関紙、ポスター等および各会員に交付すべき座席券等の作成費等総人員数で除して得られる金額を基準として定められるものであること、交響楽団やバレエ団のごとく多額の出演料を要する出演者の場合あるいは例会場として高額の賃借料を支払わねばならない会場を使用する場合等通常の会費では例会に要する費用を支弁するに足りないときは、当該例会会場への入場を希望する会員から、特別会費との名称で右の出捐をまかなうに足るべき会費を徴収すること(基本会費と別個に徴収する場合と特に区分することなく当月分の会費として徴収する場合とがある。)。控訴人らがその活動をなすに要する経費(例会の費用を含め)は、その大部分を会員の納入する会費および新らたに入会する会員の納付する入会金にたよつており、控訴人らの収入というべきものは、右会費等のほかは僅かに機関紙等に掲載する広告の広告料収入があるに過ぎないこと。控訴人らの会員が納付した会費および入会金は、そのほとんどの部分を例会の出演者に対する報酬、例会会場の使用料、機関紙、ポスター代等に支出され、なお右以外には、例会で演奏されるべき音楽等についての事前の研究会、事後の合評会の費用および控訴人らの組織体としての活動費用、すなわち総会の会場使用料、役員、事務局員らの一部に支給される控訴人らのいう活動費として使用されるものであること。控訴人らが現実になしている活動の中心でありかつその大部分を占めているのは例会の開催であり、したがつて、右にみた控訴人らの組織体としての活動費もまた例会開催に付ずいする費用と目すべきものであること。」以上の事実が認められるから控訴人らの会員が例会会場へ入場するために納付した会費は、そのすべてが例会会場への入場の対価とみるべきものであるといわざるをえない。

6、控訴人らは、「入場税法は『映画、演芸、音楽、スポーツ又は見せ物を多数人に見せ、又は聞かせる場所』への入場税を課すものであるが、右の『多数人に見せ、又は聞かせる場所』とは一定の施設を備え通常右の目的に使用される場所を指すものである。しかるに本件賦課処分の対象となつた控訴人らの例会の一部は学校の施設においてなされたものであるから右例会場への入場は入場税の賦課処分の対象とならない。」と主張する。

しかし、入場税法第一条第一号にいう「映画、演劇、音楽等を多数人に見せ、又は聞かせる場所」とは、映画館、劇場、集会音楽会用ホール、野球場等映画、演劇、音楽等を多数人に見せ、又は聞かせる場所として使用することを本来の目的とする建造物または一定の区画された土地のみならず、映画、演劇、音楽等を多数人に見せ、又は聞かせる場所として使用することを本来の用途としていない学校の教室、体育館あるいは展示場等であつても現実に前記の映画、音楽等を多数人に見せ、又は聞かせる場所として使用された施設を含むものと解すべきものである。

したがつて、控訴人らの前記主張はその前提を誤つているから、その余の点を判断するまでもなく失当であることが明らかである。

二、そうすると、控訴人らの本訴請求をすべて棄却した原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(浅賀栄 川添万夫 秋元隆男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例